« 医学図書館と機関リポジトリ | トップページ | 「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ 」 日本図書館研究会研究例会(第254回)報告 »

公立図書館・電子図書館・大学図書館 [: 電子図書館からみた公共図書館の可能性]

「大学図書館問題研究会京都支部報」199号(2001/12)掲載

 電子図書館。この言葉もずいぶん身近なものになってきたように思う。その定義となるとまだ意見の分かれるところかもしれないが、すくなくとも、「電子図書館」として提供されるサービスはどういうものか、また課題はなにか、おおよそ見えてきたのではないだろうか。先ごろ、『2005年の図書館像:地域電子図書館の実現にむけて』という冊子1)を読む機会があった。文部省から公立図書館に配布されたものと聞いたが、そこでは公立図書館で「電子図書館」サービスを提供する際のモデルが、2005年の架空の市立図書館を舞台にして示されている。サービスとして挙げられているのは、利用者用コンピュータの充実・総合検索環境の提供・資料の独自電子化・パッケージ型、外部データベース等電子資料提供、リンク集作成、メタデータ利用、情報リテラシ教育などなど。また、コンソーシアムによる商用データベースの導入といった話題もある。こうして見ると、ここで描かれている「電子図書館」像は、既に大学図書館で提供されつつあるいわゆる「電子図書館」と同じようなものと思われるのである。

 公立図書館は、国が進めている「電子図書館」計画に関心がうすいのはどうしたことか、との指摘を数年前に目にした2)。それが一般的に言えることなのか、また現在でも状況は変わっていないのかは、興味のあるところである。仮にwebページによるサービス提供を「電子図書館」の一機能とするならば、公立図書館をwebページから見る限り、簡単な利用案内に止まっているところが散見されるなど、自身のサービスの中に積極的に位置付けているところは、まだ多くないように思われる。いずれにせよ、これまでの図書の貸出しを中心とした公立図書館活動の流れの中にあって、「電子図書館」を図書を中心とする図書館に対抗的なものとして捉える傾向はなかったであろうか。そうはいわずとも、これまでの図書館サービスとは別次元のものとして語られることはなかったであろうか。あるいは現実問題として、「電子図書館」に人や予算を振り向ける余裕はない、という声もあるかもしれない。

 ともあれ、近年の公立図書館をめぐる状況には、図書館員の側から見たとき、順風とは言えない変化があるように思う。その中で、日本の公立図書館は、どのような図書館像を目指すのであろうか。もし『2005年の図書館像』にあるような「電子図書館」を指向するのなら、これからの「図書館」の在り方という点において、大学図書館にとっても無関心ではいられないように思う。それでは、公立図書館にとって「電子図書館」は、これからどのように位置付けられるのだろうか。いま大学図書館の中で、「電子図書館」はしばしば耳にする言葉であり、また公立図書館でアルバイトしたおかげで図書館で働こうと思った者としても、ちょっと気になるところである。そこで電子資料やインターネット接続など公立図書館での「電子図書館」サービスについて、少し考えてみたい。

 『図書館員の倫理綱領』は図書館員の専門性の要件として、「利用者を知り・資料を知り・利用者と資料を結びつける」3)を挙げている。これらは確かに図書館の機能として、図書館の形態如何によらず共通する要素かもしれない。ただし、この『綱領』が作られた時点での「資料」は、おそらく主に「図書」などを想定していたのではないだろうか。現在、「資料」は必ずしも「図書」の形をとるものでないことは言うまでもないし、「資料」を「情報」と言い換えることにも違和感を感じなくなってきているように思う。これからも図書館員の専門性を「利用者と資料を結びつける」ことと規定し続けるなら、図書館の提供する資料は、図書などの印刷されたパッケージ媒体に止まることなく、情報のある限り無限のはずである。

 先の京都セミナー4)のおりに湯浅さんが指摘されていたことだが、今後「図書」として残るものと電子的に提供されるものの分化が進むであろう、という予測がある。殊に絵本などのように、「図書」としての形態に意味を持つものもあるだろうが、ガイドブックやHow toものなどは、後者の例に相当するように思われる。現在の公立図書館で利用されている資料群の一端が、電子媒体に取って代わられるようになった時、利用者の要求にはどのように答えていくのであろうか。また既に、昨今の「若者の読書離れ」の要因の一つとして、他のメディアが一般的になったことが指摘されている。「図書」に特別な意味付けを持たない人、ディスプレイで文字を読むことを苦にしない人の割合が、特に若い世代で増えてきているとしたら、これからのヤングアダルトサービスの一つの可能性として、そして将来の新たな利用者への対応としても「電子図書館」は考えられるものかもしれない。

 「電子図書館」は、ネットワークによる外部へのアクセスポイントとしても機能するものであろう。まず外部資源で考えられるものには、インターネット上のweb情報がある。常時インターネット接続PCを利用者に開放しているところは、まだそれほど多くないように見受けられるが、大学図書館での利用のされ方を見ると、管理面に限っても公立図書館でも同様に、様々な問題が発生するかもしれない。そうした点だけでも「インターネット」を、図書館のサービスとして提供するにあたっての課題は多いと思われる。だが一方で、使い様によっては、決して「からっぽの洞窟」ではないことも、また明らかである。情報の価値云々に関わらず、利用者の要求に基づいて「資料」を提供する場を公立図書館であるとするなら、その広がりと混沌において、「インターネット」と公立図書館は、そもそも親和性が高いとも言えるように思う。そうしたとき、インターネット上のコンテンツ提供に関するアメリカ公共図書館界の積極的取り組みや論議の例は5)、今後考慮に値すべきものではないだろうか。また、商用オンラインデータベースも外部資源として挙げられよう。データベースのような一般に個人では契約しにくいものについては、大学、企業などデータベースを契約している組織に属さない利用者にとって、公立図書館は貴重なサービスポイントとなり得るのではないだろうか。また、こうしたインターネットや商用データベース等、外部資源の提供にあたっては、提供の是非を巡るサービスポリシーや無料原則の在り方など、これまで以上に、今後スタンスをはっきり求められる課題も少なくないと思われる。

 「利用者に本について聞かれた時、書架に行かずにまずキーボードを叩く若い図書館員が増えてきた」という公立図書館司書の方の話を聞いたことがある。確かに学生でも資料を探索するときに、抵抗なくとにかくOPACを使っているようである。しかし、詳細に彼らの検索行動を見る時、必ずしも正しく検索できていないのも、また事実ではないだろうか。私たちにとっては、適正な検索をしないと本来あるものさえ出てこない、というデータベースの危うさは周知のことだが、果たして利用者にとってはどうであろうか。近年、公立図書館におけるOPACの提供は、だいぶ一般的になってきているようであるし、利用者が列をなして検索の順番を待っている光景を目にすることもある。また、公立図書館のOPACは、タッチパネルインタフェースや自動的に部分一致を取る機能など、慣れない利用者にも使いやすい工夫がされているようには思われる。だが、それなりに使えているように見える学生でも、いまだに必ずしも正しく検索出来ているとは言えない現状を考えるとき、果たして「利用者と資料を結びつける」手段として、OPACは本当に有効に機能しているのだろうか、十分な案内がされているのだろうか、という疑問も感じるのである。もっともこれまでの公立図書館におけるサービスでは、利用者によるブラウジングや別の手段による図書への案内が、より重視されてきたのではと思われる。たとえば、貸出しカウンターでの利用者との接触による要求の把握や利用案内は、重要なファクターとして挙げられてきた。しかし、OPACを提供する以上、それを有効に使ってもらうことは必要であろうし、カウンターでの図書館員と利用者を巡る理論は、検索行動やそのサポートの中から利用者の要求を汲み取るなどのアプローチから、OPAC利用においても適用されうるのではないだろうか。

 しかし、公立図書館での電子情報アクセス環境提供に伴うサポートの可能性は、単にOPACの利用案内といったところに止まるものではないように思われる。コンピュータによるリテラシ教育は、義務教育の中でもなされていくものだろうが、既に学校教育を終えている人にとっては、図書館がそれに代わる役割を担うこともできるだろう。だが、近頃行われているIT講習などについては、必ずしも地域の図書館が、それらに主体的に関わっているとは言えないケースもあるように思う。また資料提供の面に限ってみても、様々な電子資料が導入されるようになった場合、図書館サービスとしてそれらを有効に使いこなす案内は、欠かせなくなるのは確かだろう。さらに単なるコンピュータリテラシやネットワークリテラシ、検索のハウツー以上に、電子の海から「情報」をどう掬い上げるかという、これからの情報リテラシを身に付ける場としての役割は、図書館にこそ期待されるものだと考える。

 以上、半可通の考えであることは承知しているが、公立図書館サービスと「電子図書館」は、対置されるものとは思われない。「電子図書館」とは、従来の図書館と完全に置き換わるものではないと、私たちは気づき始めているし、むしろこれまでの図書館の機能に付け加わるものと考えるのが自然だろう。それは、公立図書館においても、従来のサービスの発展形として位置づけられ得るものではないかと考えるのである。また「電子図書館」サービスは、新しい利用者層の開拓という意味からも無視できないのではないだろうか。 一方で、そうしたサービスを提供してもほんとうに利用されるのだろうか、という疑問もあるかもしれない。しかし、貸出しサービスや予約サービスと同じように、求めれば提供されることが分かり、図書館サービスとして認識されなければ、そもそも新たなニーズの発生と成長はあり得ないのでは、とも考えられる。そしてまた「図書」が利用の中心である層には、検索による思わぬ発見や電子の世界の可能性との出会いの場、「電子媒体」が中心である層には、ブラウジングでの発見や本というモノ自体の魅力との出会いの場、そして、二つの層の融合の可能性の場としての図書館像もありうると思う。

 ランガナタンの言を借りるまでもないが、図書館は同じ状態に止まるものではないし、なにより、現在の公立図書館の発展の基礎は、60・70年代にあらたな図書館像を提示し、それが受け入れられたことにあったはずである。「電子図書館」として新たなサービスを提供しようとするとき、「IT革命」などと浮ついた一過性の言葉に流されるなら危ういかもしれないし、限られたかぎられたパイをどう配分するか、という経営判断を求められる可能性があるかもしれない。しかし、現在、社会が電子化、ネットワーク化、情報化といった流れで動いているのは確かなことだと思われるし、それらの言葉に訴求性があるのもまた事実である。ならば、これまでのサービスの蓄積、そしてその上に、何のためにどのようなサービスをするのか、というポリシーがあれば、「電子図書館」は公立図書館の可能性をよりいっそう広げるものではないだろうか。

 近い将来において、もし公立図書館が「電子図書館」サービスを展開するようになった時、特にコンテンツなどにおいては、大学図書館と公立図書館の有効な棲分けが必要になるだろうと考えられる。またそこでは、これまでに大学図書館が先行した部分で蓄積した経験の共有、コンソーシアムによる連携など、「電子図書館」をキーにしたこれまで以上の協力体制を構築できる可能性も見出せるのではないだろうか。今、公立図書館と「電子図書館」を巡って考えるとき、これまでの図書館サービスとの関係性と新たな展開、ニーズの掘り起こしや組織としての位置付け、そしてサービスポリシーの在り方や経営論など、公立図書館と大学図書館に共通する課題も見えてくるように思われるのである。

1) 2005年の図書館像:地域電子図書館の実現に向けて. 文部省. 2000 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/005/toushin/001260.htm (2001/12/10 確認)
2) 津野海太郎. 市民図書館という理想のゆくえ. 図書館雑誌 Vol.92, no.8,1998.5
3) 日本図書館協会. 図書館員の倫理綱領. 1980 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/rinri.htm (2001/12/10 確認)
4) 湯浅俊彦. 大図研京都セミナー2001 第1回 講演「デジタル時代の出版メディア」
5) 川崎良孝, 高鍬裕樹. 図書館・インターネット・知的自由:アメリカ公立図書館の思想と実践. 日本図書館協会. 2000

|

« 医学図書館と機関リポジトリ | トップページ | 「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ 」 日本図書館研究会研究例会(第254回)報告 »

図書館」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/501889/48903024

この記事へのトラックバック一覧です: 公立図書館・電子図書館・大学図書館 [: 電子図書館からみた公共図書館の可能性]:

« 医学図書館と機関リポジトリ | トップページ | 「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ 」 日本図書館研究会研究例会(第254回)報告 »