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2010年7月

桂キャンパス移転と電気系図書室

「京都大学附属図書館報 静脩」40(3)(2004/1)掲載

 京都市街を東に望む丘陵上、桂キャンパスの一角に、2003年10月から桂電気系図書室が開室しました。

 電気系図書室は、「工学部等図書室」と呼ばれる、工学研究科と関連部局に設置されている図書室の一つです。専門分野の研究を支援する図書室として、電気・電子工学分野を中心とするユニークなコレクションを所蔵しており、電気系内のみならず、学内外から広く利用があります。また電気系の授業に密着した図書を配置していることもあり、とくに学部生の利用が多いことも特徴になっています。

 化学系・電気系専攻を第一期として始まった、桂キャンパス移転。これから数年かけて、工学研究科・情報学研究科が移転します。一方、工学部の教育はこれまでどおり、吉田キャンパスで行われる予定です。また、桂キャンパスにおける「工学部等図書室」の役割を担う、「桂図書館」の建設も計画されています。こうした現在進行形の変化の中にあって、桂キャンパスが完成するまでの間、桂地区でのサービスを提供する桂電気系図書室、そして吉田地区で学部教育支援を始めとする機能を果たす、従来の吉田電気系図書室という、“二つで一つ”の電気系図書室が生まれることになりました。

 桂キャンパスAクラスター内にある桂電気系図書室は、広さ200㎡ほど。夜間利用にも対応できるよう入口には電子錠を備えており、閲覧席にパソコンを持ちこんで、遅くまで論文を作成する院生さんの姿も見られます。所蔵資料は、当面の研究・教育のために、吉田電気系図書室の図書や雑誌の一部を移動させたものが主になります。また今回の移転を機に、これまで研究室に所蔵されていた学位論文が、電気系の重要な知的生産物のひとつとして、図書室で保管されるようになりました。あわせて、研究室に置かれていた図書や雑誌の一部も収容され、これらは早速、活発に利用されています。しかし、現在の桂電気系図書室の資料の量は、やはり充分なものとは言えません。そこで不足するところは、電子ジャーナルを導入したり、キャンパス間で資料をデリバリーすることで補っています。一方で桂地区の資料は、既にキャンパス外からも利用されていますので、これから移転が進むにつれて、桂キャンパス所蔵となる資料へのニーズは、いっそう増えることが予想されます。電子ジャーナルなどオンライン資料の整備、本や複写物をデリバリーするシステムの充実は、今後、分散キャンパス体制における資料アクセスの保障として京都大学全体の課題となるものかもしれません。

 キャンパス移転という一大プロジェクトに限らず、現在の大学には、大きな変化の波が押し寄せているように見えます。しかしその中にあっても、大学図書館が、多様な分野に渡る様々な形の資料や情報を収集し、それらへのアクセスを提供しながら、未来へ保存していくことは、本来の機能であり続けるでしょう。また、図書館が持つ、資料と情報のもとに人が集い、そこから新たな創造を生み出す、“場”としての役割は、これからも変わらないはずです。キャンパス紹介のパンフレットによると、桂キャンパスは、「研究分野の枠組みを超えた、国際的な産学が共同する様々な融合と交流により、学問の新分野を生み出す」場であり、そして「地域社会との協調」の場ともされています。こうしたキャンパスの顔として、まさに図書館の機能と役割が、求められているのではないでしょうか。

 35年前の電気系図書室の紹介記事(「静脩」5(3):1968)に、教室図書室の機能を有機的に結ぶものとして、「工学部の総合図書館」の可能性を述べたくだりがあります。利用者のすぐ近くにある「工学部等図書室」の利点を活かしながら、将来の図書館のあり方を視野に入れて、変化に対応したサービスを提供していくこと。それが、今の電気系図書室の目標です。

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「図書館経営分科会」参加報告 「パブリックサービスのアウトソーシング実践:慶應義塾大学三田メディアセンターでの取り組み」

「大学の図書館」 21(12)(2002/12)掲載

[大学図書館問題研究会 第33回全国大会(2002年)  第11分科会 : 図書館経営分科会]

 村上篤太郎氏(慶應義塾大学三田メディアセンター)に「パブリックサービスのアウトソーシング実践:慶應義塾大学三田メディアセンターでの取り組み」と題してご報告いただいた。当初にアウトソーシングは本来的業務の軽減を意味しない、リスクを伴うものであり必然性なく導入すべきでない、という2点を指摘された。これは大会討議資料にいう「なし崩し」的アウトソース化が進みかねない時、注意しておきたいことと思われる。アウトソーシングは一般に外部資源活用によるコスト削減、コア・コンピタンスへの自組織人材集中が目的とされる。ただし、あくまで目標実現手段の一つであり、明確な戦略の存在、成果を評価できる専任職員の養成と配置、専任職員の専門性向上とスキルの継承が欠かせないとされた。また、成功に導くにはトップダウンの経営改善が前提であるとし、管理職の資質が問われることを強調された。具体的には、情報収集力と判断力、コミュニケーション能力、身分を問わず職務的満足を持てる環境の構築、企画立案・評価サイクル確立、そして現状に安住しない意識改革が求められるという。

 現在、三田メディアセンターには、閲覧部門を中心にアウトソーシングスタッフが約60名おり、これは全職員の5 割強に相当する。この大規模なアウトソーシングに踏み切った要因として、大学の経営政策に伴う整理部門の本部集中化と専任職員削減、職員の高齢化とIT への非積極性、専門性の疑問と重なる一般事務職からの異動などを挙げられた。ついで、リスク回避のための段階的アウトソース化、更新期限を設け専任職員より在籍が長くなることを避けるなど、多くの運用ノウハウを示された。また能力を積極的に評価する、業務に変化を与えるなどで、アウトソーシングスタッフのモチベーション向上を図り、さらにパートナーと位置付け、定期的なミーティング等で信頼関係構築と組織全体の知識蓄積を目指しているという。一方では専任職員の専門職制確立のため、検討WG が組織されている。アウトソーシングの成果として、業務再構築による新組織発足、サービス拡大の原動力、専任職員へのカンフル剤的効果等があったとのことである。なお、導入1 年目は、利用者からクレームがでるなど「失敗」だったが、現在では学部生・院生の満足度は高いとされた。ここで評価傾向へ転じ得た要素は何か興味深い点である。最後に今後の課題として、新規委託業務やパートナー会社の開発、外部スタッフの世代交代、職務評価制度やナレッジマネジメントの導入などを挙げられた。

 質疑応答では、契約例や業務管理など実際的内容が大半を占めた。これについて司会者の指摘した、過去2 年の経営分科会でアウトソーシングの是非が議論の焦点となったことからの変化は、状況の急激な変化を窺わせる。アウトソース化が進む中、今後はその実体把握と多面的、継続的評価手法の検討が求められるのではないだろうか。なお、分科会事前アンケート項目の「ミッション・ステートメント」に関して議論を深める余裕がなかったが、業務再構築にあたっても重要なポイントであり、これからも取り上げていってもらいたい。アウトソーシングをキーワードして、組織マネジメントのあり方、専門性の位置付け、サービス評価の視点、誇りを持って働ける環境構築など、図書館にとっての本来的問題をあらためて提起した分科会であったと思う。

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「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ 」 日本図書館研究会研究例会(第254回)報告

「図書館界」60(3)(2008/9)掲載

 江上氏は、2007年4月から1年間、ハーバード大学イェンチン図書館に、研修プログラムにより滞在された。これは、イェンチン図書館が日本から visiting librarianを年1名、3ヵ年に渡り受け入れるプロジェクトで、滞在中は、実務体験、交流および研修者のテーマによる調査・研究を行うというもの。実務としては、おもにイェンチン図書館蔵の日本古典籍の補遺目録出版プロジェクトに携わった。この目録は、近々刊行予定である。

 ハーバード大学は、90近くの図書館・室を有する。その一つであるイェンチン図書館は、北米最大級の東アジア専門図書館であり、大学のメインライブラリーであるワイドナー図書館や学部学生用図書館のラモント図書館等とともに、“Harvard College Library(HCL)”を構成する。またHCLには、Collections Conservation Lab(貸出用図書の修復・保存を担当)やImaging Service(資料撮影を担当)等の専門部署も含まれる。さらに、HCLおよびHCLに属さない図書館を包含して構成される“Harvard University Library(HUL)”がある。HULもまた、Harvard Depository(共同保存書庫)などの専門部署を持つ。これら図書館や専門部署は、それぞれの明確なミッションに基づいてサービスを行っている。一例をあげれば、ラモント図書館では基本的に資料を保存しないが、これは資料を新鮮に保つためであり、一方で、24時間開館や図書館カフェなどのサービスを展開している。また専門部署は、それぞれに特化した人材や設備、合理的に構築された処理フローをもって、全体のサービスを支えている。

 発表は、担当した実務、見聞した多様な図書館の業務やサービス、参加した学会などを巡るトピックが滞在中のカレンダーに沿って紹介され、アメリカでの1年間を追体験するように進行した。また発表後には活発な質疑が行われた。その中で江上氏は、アメリカの大学図書館の運営を見る際には、その根底や周辺にある事象も含めて捉えるべきことを強調された。例えば、24時間開館とラーニング・コモンズの背景には、全寮制やキャンパスの立地条件があること、またラーニング・コモンズの設置にあたっては、大学全体のコモン・スペース配置計画から構想されるべきものではないか、ということである。そして、紹介されたアメリカの多様かつ活発な大学図書館の活動を支える背景として、「日本とアメリカの大学図書館員の違いとして感じたものは何か」という問いには、「課題に対して自身の判断と責任であたるという当事者意識の強さ」にあるのではないかとされた。

 最後に記録者個人の感想になるが、多様なトピックにエピソードを交えての発表であり、ネット等により手軽に海外の多くの情報を入手できる昨今でも、直接話すことやその場に行ってこそ得ることのできる情報の広がりと深さを改めて認識した。

 なお、「ハーバード日記: 司書が見たアメリカ」は、研修体験の共有を目指して、京都大学図書館機構のwebサイトに、ブログ形式で連載されたレポートのタイトルでもある。本報告で紹介できたのは発表の一部に止まるため、ご一読をお奨めしたい。
 「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ」 http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress/

日時:2008年6月20日(金) 19:00~21:00
会場:大阪市立弁天町市民学習センター
発表者:江上敏哲(国際日本文化研究センター)

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公立図書館・電子図書館・大学図書館 [: 電子図書館からみた公共図書館の可能性]

「大学図書館問題研究会京都支部報」199号(2001/12)掲載

 電子図書館。この言葉もずいぶん身近なものになってきたように思う。その定義となるとまだ意見の分かれるところかもしれないが、すくなくとも、「電子図書館」として提供されるサービスはどういうものか、また課題はなにか、おおよそ見えてきたのではないだろうか。先ごろ、『2005年の図書館像:地域電子図書館の実現にむけて』という冊子1)を読む機会があった。文部省から公立図書館に配布されたものと聞いたが、そこでは公立図書館で「電子図書館」サービスを提供する際のモデルが、2005年の架空の市立図書館を舞台にして示されている。サービスとして挙げられているのは、利用者用コンピュータの充実・総合検索環境の提供・資料の独自電子化・パッケージ型、外部データベース等電子資料提供、リンク集作成、メタデータ利用、情報リテラシ教育などなど。また、コンソーシアムによる商用データベースの導入といった話題もある。こうして見ると、ここで描かれている「電子図書館」像は、既に大学図書館で提供されつつあるいわゆる「電子図書館」と同じようなものと思われるのである。

 公立図書館は、国が進めている「電子図書館」計画に関心がうすいのはどうしたことか、との指摘を数年前に目にした2)。それが一般的に言えることなのか、また現在でも状況は変わっていないのかは、興味のあるところである。仮にwebページによるサービス提供を「電子図書館」の一機能とするならば、公立図書館をwebページから見る限り、簡単な利用案内に止まっているところが散見されるなど、自身のサービスの中に積極的に位置付けているところは、まだ多くないように思われる。いずれにせよ、これまでの図書の貸出しを中心とした公立図書館活動の流れの中にあって、「電子図書館」を図書を中心とする図書館に対抗的なものとして捉える傾向はなかったであろうか。そうはいわずとも、これまでの図書館サービスとは別次元のものとして語られることはなかったであろうか。あるいは現実問題として、「電子図書館」に人や予算を振り向ける余裕はない、という声もあるかもしれない。

 ともあれ、近年の公立図書館をめぐる状況には、図書館員の側から見たとき、順風とは言えない変化があるように思う。その中で、日本の公立図書館は、どのような図書館像を目指すのであろうか。もし『2005年の図書館像』にあるような「電子図書館」を指向するのなら、これからの「図書館」の在り方という点において、大学図書館にとっても無関心ではいられないように思う。それでは、公立図書館にとって「電子図書館」は、これからどのように位置付けられるのだろうか。いま大学図書館の中で、「電子図書館」はしばしば耳にする言葉であり、また公立図書館でアルバイトしたおかげで図書館で働こうと思った者としても、ちょっと気になるところである。そこで電子資料やインターネット接続など公立図書館での「電子図書館」サービスについて、少し考えてみたい。

 『図書館員の倫理綱領』は図書館員の専門性の要件として、「利用者を知り・資料を知り・利用者と資料を結びつける」3)を挙げている。これらは確かに図書館の機能として、図書館の形態如何によらず共通する要素かもしれない。ただし、この『綱領』が作られた時点での「資料」は、おそらく主に「図書」などを想定していたのではないだろうか。現在、「資料」は必ずしも「図書」の形をとるものでないことは言うまでもないし、「資料」を「情報」と言い換えることにも違和感を感じなくなってきているように思う。これからも図書館員の専門性を「利用者と資料を結びつける」ことと規定し続けるなら、図書館の提供する資料は、図書などの印刷されたパッケージ媒体に止まることなく、情報のある限り無限のはずである。

 先の京都セミナー4)のおりに湯浅さんが指摘されていたことだが、今後「図書」として残るものと電子的に提供されるものの分化が進むであろう、という予測がある。殊に絵本などのように、「図書」としての形態に意味を持つものもあるだろうが、ガイドブックやHow toものなどは、後者の例に相当するように思われる。現在の公立図書館で利用されている資料群の一端が、電子媒体に取って代わられるようになった時、利用者の要求にはどのように答えていくのであろうか。また既に、昨今の「若者の読書離れ」の要因の一つとして、他のメディアが一般的になったことが指摘されている。「図書」に特別な意味付けを持たない人、ディスプレイで文字を読むことを苦にしない人の割合が、特に若い世代で増えてきているとしたら、これからのヤングアダルトサービスの一つの可能性として、そして将来の新たな利用者への対応としても「電子図書館」は考えられるものかもしれない。

 「電子図書館」は、ネットワークによる外部へのアクセスポイントとしても機能するものであろう。まず外部資源で考えられるものには、インターネット上のweb情報がある。常時インターネット接続PCを利用者に開放しているところは、まだそれほど多くないように見受けられるが、大学図書館での利用のされ方を見ると、管理面に限っても公立図書館でも同様に、様々な問題が発生するかもしれない。そうした点だけでも「インターネット」を、図書館のサービスとして提供するにあたっての課題は多いと思われる。だが一方で、使い様によっては、決して「からっぽの洞窟」ではないことも、また明らかである。情報の価値云々に関わらず、利用者の要求に基づいて「資料」を提供する場を公立図書館であるとするなら、その広がりと混沌において、「インターネット」と公立図書館は、そもそも親和性が高いとも言えるように思う。そうしたとき、インターネット上のコンテンツ提供に関するアメリカ公共図書館界の積極的取り組みや論議の例は5)、今後考慮に値すべきものではないだろうか。また、商用オンラインデータベースも外部資源として挙げられよう。データベースのような一般に個人では契約しにくいものについては、大学、企業などデータベースを契約している組織に属さない利用者にとって、公立図書館は貴重なサービスポイントとなり得るのではないだろうか。また、こうしたインターネットや商用データベース等、外部資源の提供にあたっては、提供の是非を巡るサービスポリシーや無料原則の在り方など、これまで以上に、今後スタンスをはっきり求められる課題も少なくないと思われる。

 「利用者に本について聞かれた時、書架に行かずにまずキーボードを叩く若い図書館員が増えてきた」という公立図書館司書の方の話を聞いたことがある。確かに学生でも資料を探索するときに、抵抗なくとにかくOPACを使っているようである。しかし、詳細に彼らの検索行動を見る時、必ずしも正しく検索できていないのも、また事実ではないだろうか。私たちにとっては、適正な検索をしないと本来あるものさえ出てこない、というデータベースの危うさは周知のことだが、果たして利用者にとってはどうであろうか。近年、公立図書館におけるOPACの提供は、だいぶ一般的になってきているようであるし、利用者が列をなして検索の順番を待っている光景を目にすることもある。また、公立図書館のOPACは、タッチパネルインタフェースや自動的に部分一致を取る機能など、慣れない利用者にも使いやすい工夫がされているようには思われる。だが、それなりに使えているように見える学生でも、いまだに必ずしも正しく検索出来ているとは言えない現状を考えるとき、果たして「利用者と資料を結びつける」手段として、OPACは本当に有効に機能しているのだろうか、十分な案内がされているのだろうか、という疑問も感じるのである。もっともこれまでの公立図書館におけるサービスでは、利用者によるブラウジングや別の手段による図書への案内が、より重視されてきたのではと思われる。たとえば、貸出しカウンターでの利用者との接触による要求の把握や利用案内は、重要なファクターとして挙げられてきた。しかし、OPACを提供する以上、それを有効に使ってもらうことは必要であろうし、カウンターでの図書館員と利用者を巡る理論は、検索行動やそのサポートの中から利用者の要求を汲み取るなどのアプローチから、OPAC利用においても適用されうるのではないだろうか。

 しかし、公立図書館での電子情報アクセス環境提供に伴うサポートの可能性は、単にOPACの利用案内といったところに止まるものではないように思われる。コンピュータによるリテラシ教育は、義務教育の中でもなされていくものだろうが、既に学校教育を終えている人にとっては、図書館がそれに代わる役割を担うこともできるだろう。だが、近頃行われているIT講習などについては、必ずしも地域の図書館が、それらに主体的に関わっているとは言えないケースもあるように思う。また資料提供の面に限ってみても、様々な電子資料が導入されるようになった場合、図書館サービスとしてそれらを有効に使いこなす案内は、欠かせなくなるのは確かだろう。さらに単なるコンピュータリテラシやネットワークリテラシ、検索のハウツー以上に、電子の海から「情報」をどう掬い上げるかという、これからの情報リテラシを身に付ける場としての役割は、図書館にこそ期待されるものだと考える。

 以上、半可通の考えであることは承知しているが、公立図書館サービスと「電子図書館」は、対置されるものとは思われない。「電子図書館」とは、従来の図書館と完全に置き換わるものではないと、私たちは気づき始めているし、むしろこれまでの図書館の機能に付け加わるものと考えるのが自然だろう。それは、公立図書館においても、従来のサービスの発展形として位置づけられ得るものではないかと考えるのである。また「電子図書館」サービスは、新しい利用者層の開拓という意味からも無視できないのではないだろうか。 一方で、そうしたサービスを提供してもほんとうに利用されるのだろうか、という疑問もあるかもしれない。しかし、貸出しサービスや予約サービスと同じように、求めれば提供されることが分かり、図書館サービスとして認識されなければ、そもそも新たなニーズの発生と成長はあり得ないのでは、とも考えられる。そしてまた「図書」が利用の中心である層には、検索による思わぬ発見や電子の世界の可能性との出会いの場、「電子媒体」が中心である層には、ブラウジングでの発見や本というモノ自体の魅力との出会いの場、そして、二つの層の融合の可能性の場としての図書館像もありうると思う。

 ランガナタンの言を借りるまでもないが、図書館は同じ状態に止まるものではないし、なにより、現在の公立図書館の発展の基礎は、60・70年代にあらたな図書館像を提示し、それが受け入れられたことにあったはずである。「電子図書館」として新たなサービスを提供しようとするとき、「IT革命」などと浮ついた一過性の言葉に流されるなら危ういかもしれないし、限られたかぎられたパイをどう配分するか、という経営判断を求められる可能性があるかもしれない。しかし、現在、社会が電子化、ネットワーク化、情報化といった流れで動いているのは確かなことだと思われるし、それらの言葉に訴求性があるのもまた事実である。ならば、これまでのサービスの蓄積、そしてその上に、何のためにどのようなサービスをするのか、というポリシーがあれば、「電子図書館」は公立図書館の可能性をよりいっそう広げるものではないだろうか。

 近い将来において、もし公立図書館が「電子図書館」サービスを展開するようになった時、特にコンテンツなどにおいては、大学図書館と公立図書館の有効な棲分けが必要になるだろうと考えられる。またそこでは、これまでに大学図書館が先行した部分で蓄積した経験の共有、コンソーシアムによる連携など、「電子図書館」をキーにしたこれまで以上の協力体制を構築できる可能性も見出せるのではないだろうか。今、公立図書館と「電子図書館」を巡って考えるとき、これまでの図書館サービスとの関係性と新たな展開、ニーズの掘り起こしや組織としての位置付け、そしてサービスポリシーの在り方や経営論など、公立図書館と大学図書館に共通する課題も見えてくるように思われるのである。

1) 2005年の図書館像:地域電子図書館の実現に向けて. 文部省. 2000 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/005/toushin/001260.htm (2001/12/10 確認)
2) 津野海太郎. 市民図書館という理想のゆくえ. 図書館雑誌 Vol.92, no.8,1998.5
3) 日本図書館協会. 図書館員の倫理綱領. 1980 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/rinri.htm (2001/12/10 確認)
4) 湯浅俊彦. 大図研京都セミナー2001 第1回 講演「デジタル時代の出版メディア」
5) 川崎良孝, 高鍬裕樹. 図書館・インターネット・知的自由:アメリカ公立図書館の思想と実践. 日本図書館協会. 2000

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医学図書館と機関リポジトリ

「医学図書館」53(3)(2006/9)“読者からの手紙”掲載

 「電子図書館」、「電子ジャーナル」そして「機関リポジトリ」。まるでトレンドのように次々と現れるこれらのキーワードを耳にするようになったのが、たかだか10 年のうちであることを思うと、図書館を取り巻く環境の変化の早さを感じずにはいられません。そうした中にあって、これからの図書館のあり方はまさに走りながら考えることになりそうです。さて「大学の教育研究活動の成果である学術情報の収集、組織化、保存及び発信のための仕組み」である機関リポジトリの構築支援として行われている国立情報学研究所の事業に、私の勤務する図書館も参加することになりました。そこで、一度立ち止まって近年の『医学図書館』における機関リポジトリやオープンアクセスの記事1)2)などから、「図書館とは?」を考えるヒントをもらうことにしました。

 私が医学図書館に異動しILL依頼を担当するようになって、まず面食らったのはその量の多さです。それから次第に感じてきたのが、和雑誌のオーダーが多いこと、また看護学分野における紀要類へのニーズの存在でした。そこで、紀要と同じく組織単位の知的生産物を公開する媒体としての機関リポジトリが、紀要の発展的解消の役を果たすことができないかと考えるのです。機関リポジトリは、学術雑誌価格高騰に伴う諸問題の解決策としての可能性を持つと言われますが、インパクトファクターといった尺度とは別のところでの文献ニーズが存在する以上、それらを積極的に取り込んだ機関リポジトリ像もあり得ると思っています。

 また機関リポジトリを図書館が運営するということは、図書館が従来の学術情報流通のサポートに加えて、学術情報流通自体の枠組作りを担うことになります。従来、冊子であれ電子媒体であれ、基本的に「固まった」情報を扱ってきた図書館が、「ナマ」の情報を扱うことになるわけです。そこでは、捏造・盗用論文のようなコンテンツが機関リポジトリに搭載されていたときの対応のような課題も、図書館に降りかかってくるかもしれません。そんなことを「電子ジャーナルにおける訂正記事の扱い」3)からは考えさせられました。

 しかし、こうした機関リポジトリをすべての組織が維持・管理するのは難しいように思われます。そこで、国立ライフサイエンス情報センター(仮称) 4)が、その代替機能を果たしたり各機関リポジトリのバックアップ機能を担ったりできないだろうかと考えます。リポジトリサーバの運用においては、設置母体を超えた連携が比較的容易でしょうし、また研究者・医療従事者のみならず、社会に対する情報センターとしての機能にも合致するように思われますがいかがでしょうか。

 さて、機関リポジトリと言っても「海のものとも山のものとも」といった感があるかもしれません。けれどその機能は、40 年来の検討の蓄積がある国立ライフサイエンス情報センター(仮称)の機能上にも見出せます。それは機関リポジトリが「情報を収集・整理し、保存しつつ発信する」図書館機能の新たな展開であると考えるならば自然なことなのでしょう。いずれにせよ変化の中にあってこそ、『医学図書館』の蓄積と発信には、これからの図書館を考える多くのヒントがあるように思うのです。

参考文献
1) 木村優. 学術コミュニケーションの変革と大学図書館:電子ジャーナル,オープン・アクセス,機関リポジトリ. 医学図書館 2005;52(2):129-37.
2) 永井裕子. オープンアクセス実現への可能性を求めて:機関リポジトリは機能するか.医学図書館2006;53(2):192-7.
3) 岡田英孝. 電子ジャーナルにおける訂正記事の扱い.医学図書館 2005;52(2):138-44.4) 阿部信一,磯野威. NPO 法人日本医学図書館協会「国立ライフサイエンス情報センター(仮称)推進準備委員会」経過報告.医学図書館 2006;53(2):166-78.

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