« 山行記録 飯野山 | トップページ | [大学図書館の]ミッション・ステートメント »

『Defiled』観劇記?

「大学の図書館」24(9)(2005/9)掲載

 「目録カードが廃棄されるのに抗議する司書が、爆発物とともに図書館に立てこもった・・・。」 これは、図書館を舞台にした劇、『Defiled』のお話。どうにも図書館員ウケのするストーリーに惹かれて、昨年暮の大阪公演へ行ってきました(再演。日本初演は2001年)。青年司書を演じるのは大沢たかおさん、彼を説得しようとするベテラン刑事役が長塚京三さんという、二人芝居です。
 「上司が今どきの図書館を目指して、コンピュータを導入することに決めた」ので、目録カードは、捨てられることになったとのこと。「カードよりコンピュータのほうが本を探しやすいのでは」という刑事に、「そんなことはない。カードなら、タイトルや件名からも探せるのに」と司書。(・・・これ、"辞書体目録"とかいったな) さらに「アレクサンドリア図書館」、「活版印刷」、「DDC」などなどを持ち出して、カードの歴史的意義をひとくさり。(・・・図書館史の授業?!)そして「カードを捨てることは歴史も捨てるということ。そんな世の中では本もネットで読むようになって、図書館も消えてしまう」と訴えます。(・・・確かに電子ジャーナルもE-Book もあるよなぁ)。 一方、刑事とのやり取り中から、「屈折と鬱屈」を抱えた、司書の内面も見えてくる。(・・・お約束の図書館員像?) それでも会話を重ねる中で、二人は次第に互いを理解しあうようになっていく、わけですが、こちらは、頻出する図書館ネタに反応するうちに、意識は舞台を離れて・・・。

 アメリカの作家ニコルソン・ベーカーは、図書館が利用者用コンピュータを入れ目録カードを捨てることや、古い図書を廃棄したことに対し、抗議活動を展開した。彼が訴えたのは、目録カードへの懐旧ではなく、「図書館に蓄積された歴史」を図書館員自らが捨てさってしまうことだという※。もちろん、様々な制約の中にある図書館は、すべてを残すことはできない。そして、「提供」する組織である以上、社会に寄り添って、より早く便利な手段を追求するのは、当然のことである。いまさらカード目録の時代に戻ることはできないし、多くの利用者は、電子ジャーナルがあれば、図書館で冊子を繰りはしない。だが、一方、「保存し伝える」役割も担うことが、図書館を他の組織と区別できるようにしているのは、確かだろう。
 さて、ベーカーは、図書館が「過去」を捨てることを批判した。では、図書館は「現在」を保存できているのだろうか。仮に、目録にも載らぬまま、研究室の片隅に埋もれる本や、図書室の書架の端に並ぶ雑誌があるとする。それらは、現在は不要なのかもしれない。だが10 年後の学生が、その本を開くことはないだろうか?100 年後に、その雑誌が残っていたらどうだろうか?
 今日、少なからぬ情報が電子的に存在している。「立てこもり司書」の言うように、図書館が消えるかはともかく、電子化の時代に、図書館こそ果たす役割は、「保存し伝える」ことだろう。例えば、「機関“リポジトリ”(=貯蔵所)」と図書館を繋ぐものがあるなら、それは、これまで紙の資料を残してきたように、電子資料も、保存し伝えるという図書館員のエートスではないか。ならば、図書館が媒体の如何を問わず、「現在」の資料を残すことを忘れるなら、その「未来」は危うい。

 ・・・そんなことにぼんやり考えを巡らせていると、舞台はもう終幕。説得は成功したのか?目録カードは守られたのか?? カーテンコールの歓声に手を振る大沢さんと長塚さん見ながら、思いました。(・・・図書館のことを考えながら芝居をみるのは、やめよう)

※「カレントアウェアネス」 No.267, No.272

|

« 山行記録 飯野山 | トップページ | [大学図書館の]ミッション・ステートメント »

図書館」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/501889/48164245

この記事へのトラックバック一覧です: 『Defiled』観劇記?:

« 山行記録 飯野山 | トップページ | [大学図書館の]ミッション・ステートメント »