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図書館と電子ブック

「人文会ニュース」 98号(2006/4)掲載

 「この雑誌、電子ジャーナルは使えませんか?」私が勤務する医学図書館で、利用者からしばしば聞かれる質問である。いまや、とくに理系の研究者にとって、電子ジャーナルは不可欠のものとなった。電子ジャーナルが日本の大学に導入され始めてせいぜい五年、その間に一大学平均の購読タイトル数が五〇倍近くになり、数千タイトルを提供する大学も少なくないというのだから(文科省平成一六年度大学図書館実態調査結果報告)、その普及のスピードはすさまじい。「書架の冊子を繰っていると思わぬ論文を見つけたりするんだ」と言う先生もいないわけではないが、研究室でお目当ての論文がダウンロードできてしまう便利さには代えがたいらしい。論文という「情報」を得ることが目的ならば、電子ジャーナルは明らかに早く簡便である。また紙の雑誌での思いがけない発見(セレンディピティ)の経験も、電子ジャーナルのブラウジングや検索機能に、より強力に存在するだろう。そうすると、これまで“たまたま”紙の冊子という形をとっていた学術雑誌が、電子化・ネットワーク化という時機を得て一気に姿を変えつつあるのは、利用者の志向からしても自然なことといってよい。現在のところ、電子ジャーナルとして存在するものは洋雑誌がほとんどであり、また理系のタイトルの利用が多い。しかし、人文・社会系の研究者も電子ジャーナルを利用し始めており、大学紀要など和雑誌の電子化も進みつつある。こと電子ジャーナルに関する限り、かつて図書館の未来像として語られた「電子図書館」は、日常の光景になりつつある。
 ところで、近年の電子ジャーナルの急速な普及の背景には、ここ数年の間、日本の大学図書館界が電子ジャーナルの導入を優先課題としてきたことがある。通常、本や雑誌の購入決定権は教員にあり、その予算の多くは教員研究費に拠っているため、図書館が裁量できる部分は、必ずしも大きくない。しかし、電子ジャーナルは、大手出版社が複数タイトルをパッケージにし、サイトライセンス販売される。その結果、導入パッ ケージの選択や使用予算の配分を通して、図書館が大学としての購読タイトル構成に一定の関与ができるようになったのである。
 さて、電子ジャーナルが一定の普及を見た現在、次は電子ブック(ここでは、ネットワーク上で利用する学術書)の導入を進めようとする動きがある。これは、電子ジャーナルの導入という経験を経た大学図書館による「ネットワーク系コンテンツという大学全体に提供可能な資料を導入することにより、大学の学術情報基盤を整備する」というモデルとして考えられる。そして、電子ジャーナルによって研究環境の充実を図った後の方向性として、今後は教育環境の充実が求められるという文脈から、電子ブックには、教育的面からの利用が期待されるだろう。井上さんが指摘するように(人文会ニュース96号)、いまの大学図書館に求められているのは、「研究偏重から教育・学習支援へのシフト」である。もちろん、これは、大学の課題でもある。
 しかしここに、電子ブックとして存在するもののほとんどは、英語のものであるという問題がある。欧米では万を超えるタ イトルがサイトライセンスで提供されており、多くの大学図書館で導入されている。残念ながら英語の資料を読みこなせる学生は多くない以上、電子ブック活用の方向性は、不透明なものにならざるをえない。現在、日本語のオンライン資料として、大学図書館が導入しているのは、辞書・辞典類、新聞全文データベース、経済系や法律系の全文データベースといったものである。ネットワーク上で利用できる学術書は、「東洋文庫」などごく少数であり、そもそも、日本語の学術書の電子ブックは、導入したくても存在しない。そこで今、図書館が、電子資料の充実と教育支援の観点から期待したいのは、日本語による学術書の電子ブックの登場である。

 さて、ここで、電子ブックの可能性を考えてみたい。

一 電子ブックは使われるのか
 雑誌がそうだったように、本もたまたま「紙の冊子」の形をしていたに過ぎないのではないか。今、電子ジャーナ ルを使いこなしている理系の研究者も、ついこの間までは、ブラウジングやセレンディピティにおける冊子の優位性を語っていたのである。つまり、実際に使える電子ブックが閾値を越えたとき、普及する可能性は否定できない。それは、電子ジャーナルが、論文数の増加を背景に、論文を複写するという 研究者行動の置き換えとして爆発的に普及したのとは違い、ゆっくりとしたものかもしれない。だが、それだけに「本」に象徴される知のあり方に、深い変化をもたらすものかもしれない。

二 電子ブックはどのように使われるのか
 電子ブックの利用統計によると、アクセスの時間は短かく、利用者は検索機能を活用しているという。つまり、「一冊の本」としてより、細切れの「情報」としての使われ方である。本という入れ物から開放されたコンテンツが、章や節という情報になるのが、電子ブックの特性なのではないか。そこでは、本の情報もネットワーク上に 存在するそれ以外の情報も、情報としては等価である。そうしたさまざまな粒度の情報を評価・解釈し、再構成して知識とすることこそ、これから大学が学生に身につけてほしいスキルなのである。

三 電子ブックの発展の可能性は
 現在、日本で電子ブックと言うと、電子読書端末のコンテンツとして語られることが多い。しかし、電子ブックの本来の可能性は、ネットワーク上に存在することにある。電子的に提供さえるアイテムがリンクで結びつき、かつ検索可能になったときに、あらたな展開を見せるのではないか。電子ブックを読んでいて分からない言葉があったら、ネットワーク上の辞書で調べる。電子ジャーナルの論文が引用する電子ブックへジャンプする。検索エンジンの検索結果から求めるコンテンツに辿り着く。そうして知が網の目をなし、検索できてこそ、ネットワークの特性が活かされることになるだろう。

四 電子ブックは経営として成り立つのか
 電子ブック先進国のアメリカにおいても、現在、電子ブックが収益を生み出すモデルは少ないようである。今後の可能性を探っている段階といっていいだろう。立ち上げ時の課題として電子ブックは、紙の媒体を単純に電子化すればよいものではないため、多くの投資が必要になることがある。そこでアメリカの多くの先行例に見られるのは、立ち上げ時のファンドの存在であるが、これは日本 の現状においては、難しい。ついで販売時における課題として、電子ブックの個人ユーザ向け販売は難しいと言われている(『Books in the digital age』(Polity Press))。また従量制課金は、とくに学生にとって、情報入手の桎梏になりかねないものだから、望ましくない。学生が本を買わないのなら、大学として学習の環境を整える必要がある。そこで研究環境整備として電子ジャーナルを導入 したように、教育・学習の環境整備という論理で、図書館が電子ブックをサイトライセンスで導入することが考えられる。そこでは、新刊書が提供されないと利用価値は高くない。一方、過去の絶版本が、電子ブックとして使えるならばその知の継承という文化的意義は小さくないだろう。またサイトライセンスモデルには、スケールメリットの観点からある程度のアイテム数が必要となる。人文会という基盤を活かした、パッケージ構成の可能性は考えられないだろうか。

五 研究室の本と電子ブック
 これまでの大学図書館の中で、過去何十年にも渡り言われてきた問題として、研究室に置かれている資料へのアクセスがある。研究者からすれば読みたいときに手元に本があることを望むのはもっともである。しかし、とくに広く資料を渉猟する必要がある学生の「いったいこの本はどこにあるんですか」という声は切実である。ここに、本を広く提供できるようにしたい図書館と手元に本を置いておきたい研究者の相克があった。この問題を電子ブックは解決するかもしれない。紙の本が必要な研究者は、それぞれ購入すればよいのである。研究室に置かれる資料の問題は、おそらくかつての講座制の体質を引きづったものである。電子ブックはそれ を「開かれた知」へ転換するきっかけになるかもしれない。

六 大学の教育と電子ブック
 日本の大学図書館はこれまで、「教育」に 結びついてくることができなかった。例えば、講義での必読書を図書館が学生の人数に見合うだけ用意し貸出すという「指定図書(Reserve book)制度」が、六〇~七〇年代に、アメリカの大学図書館をモデルにして実施されたことがある。結局これが根付かなかったのは、学生が本を読み込み思考する教育スタイルではなく、教科書主義が主流であった実態にそぐわなかったからだと言われている。複数人がいつでもアクセスできるという指定図書の趣旨は、電子ブックに適合するものである。そこで電子ブックは、電子指定図書(e-reserve book)として活用されることが考えられる。教育のあり方と大学図書館の関係を再構築するためのツールとしての可能性が、電子ブックにはある。

  前述した井上さんの論でも紹介されていることだが、学生は本を読まない。残念なことにいくら上質のコンテンツをもった本でも、そもそも読まないのである。だが、それで済ましていいはずはない。少なくとも大学が知を生産しそれを継承していく知のシステムと存在しようとするならば、これまで蓄積されてきた知と、それを使いこなす技術を伝えるのが、その存在意義であるはずだからだ。そこで、図書館の役割は、学生を知に導く「仕掛け」としての環境を作ることである。そして、電子ブックはその「仕掛け」の一つになる可能性がある。菅谷さんが言うように(人文会ニュース94 号)、「デジタルであれ紙であれ、文字の情報というのは変わらない」のであり、「文字に書かれた情報をどんなふうに使いこなしていくのか」が、これからの知識社会に生きる学生に、求められているのである。
 もちろん、「本」というものの備える魅力は、これからも失われることはないだろう。しかし、教養として本を読むと言うモデルは、おそらく崩壊した。精緻に編まれた人文書も、いまどきに学生にとっては、インターネットの情報と同列の選択肢となっているのが現実である。しかし、人文書が築いてきたコンテンツの蓄積=「知」というものは、それほど移ろいやすいものではないはずである。今、問題なのは、それをどういう形で提供するかである。これまで本という入れ物に、研究室に、大学(そして「大学図書館」に!)に囲い込まれていた知を開放し、再構成してあらたな形に再生する可能性を電子ブックは、秘めているかもしれない。その可能性の中で、図書館は、知の継承の一端を担う役割を出版社とともに果たしたいと思う。

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