« 2009年6月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月

図書館と電子ブック

「人文会ニュース」 98号(2006/4)掲載

 「この雑誌、電子ジャーナルは使えませんか?」私が勤務する医学図書館で、利用者からしばしば聞かれる質問である。いまや、とくに理系の研究者にとって、電子ジャーナルは不可欠のものとなった。電子ジャーナルが日本の大学に導入され始めてせいぜい五年、その間に一大学平均の購読タイトル数が五〇倍近くになり、数千タイトルを提供する大学も少なくないというのだから(文科省平成一六年度大学図書館実態調査結果報告)、その普及のスピードはすさまじい。「書架の冊子を繰っていると思わぬ論文を見つけたりするんだ」と言う先生もいないわけではないが、研究室でお目当ての論文がダウンロードできてしまう便利さには代えがたいらしい。論文という「情報」を得ることが目的ならば、電子ジャーナルは明らかに早く簡便である。また紙の雑誌での思いがけない発見(セレンディピティ)の経験も、電子ジャーナルのブラウジングや検索機能に、より強力に存在するだろう。そうすると、これまで“たまたま”紙の冊子という形をとっていた学術雑誌が、電子化・ネットワーク化という時機を得て一気に姿を変えつつあるのは、利用者の志向からしても自然なことといってよい。現在のところ、電子ジャーナルとして存在するものは洋雑誌がほとんどであり、また理系のタイトルの利用が多い。しかし、人文・社会系の研究者も電子ジャーナルを利用し始めており、大学紀要など和雑誌の電子化も進みつつある。こと電子ジャーナルに関する限り、かつて図書館の未来像として語られた「電子図書館」は、日常の光景になりつつある。
 ところで、近年の電子ジャーナルの急速な普及の背景には、ここ数年の間、日本の大学図書館界が電子ジャーナルの導入を優先課題としてきたことがある。通常、本や雑誌の購入決定権は教員にあり、その予算の多くは教員研究費に拠っているため、図書館が裁量できる部分は、必ずしも大きくない。しかし、電子ジャーナルは、大手出版社が複数タイトルをパッケージにし、サイトライセンス販売される。その結果、導入パッ ケージの選択や使用予算の配分を通して、図書館が大学としての購読タイトル構成に一定の関与ができるようになったのである。
 さて、電子ジャーナルが一定の普及を見た現在、次は電子ブック(ここでは、ネットワーク上で利用する学術書)の導入を進めようとする動きがある。これは、電子ジャーナルの導入という経験を経た大学図書館による「ネットワーク系コンテンツという大学全体に提供可能な資料を導入することにより、大学の学術情報基盤を整備する」というモデルとして考えられる。そして、電子ジャーナルによって研究環境の充実を図った後の方向性として、今後は教育環境の充実が求められるという文脈から、電子ブックには、教育的面からの利用が期待されるだろう。井上さんが指摘するように(人文会ニュース96号)、いまの大学図書館に求められているのは、「研究偏重から教育・学習支援へのシフト」である。もちろん、これは、大学の課題でもある。
 しかしここに、電子ブックとして存在するもののほとんどは、英語のものであるという問題がある。欧米では万を超えるタ イトルがサイトライセンスで提供されており、多くの大学図書館で導入されている。残念ながら英語の資料を読みこなせる学生は多くない以上、電子ブック活用の方向性は、不透明なものにならざるをえない。現在、日本語のオンライン資料として、大学図書館が導入しているのは、辞書・辞典類、新聞全文データベース、経済系や法律系の全文データベースといったものである。ネットワーク上で利用できる学術書は、「東洋文庫」などごく少数であり、そもそも、日本語の学術書の電子ブックは、導入したくても存在しない。そこで今、図書館が、電子資料の充実と教育支援の観点から期待したいのは、日本語による学術書の電子ブックの登場である。

 さて、ここで、電子ブックの可能性を考えてみたい。

一 電子ブックは使われるのか
 雑誌がそうだったように、本もたまたま「紙の冊子」の形をしていたに過ぎないのではないか。今、電子ジャーナ ルを使いこなしている理系の研究者も、ついこの間までは、ブラウジングやセレンディピティにおける冊子の優位性を語っていたのである。つまり、実際に使える電子ブックが閾値を越えたとき、普及する可能性は否定できない。それは、電子ジャーナルが、論文数の増加を背景に、論文を複写するという 研究者行動の置き換えとして爆発的に普及したのとは違い、ゆっくりとしたものかもしれない。だが、それだけに「本」に象徴される知のあり方に、深い変化をもたらすものかもしれない。

二 電子ブックはどのように使われるのか
 電子ブックの利用統計によると、アクセスの時間は短かく、利用者は検索機能を活用しているという。つまり、「一冊の本」としてより、細切れの「情報」としての使われ方である。本という入れ物から開放されたコンテンツが、章や節という情報になるのが、電子ブックの特性なのではないか。そこでは、本の情報もネットワーク上に 存在するそれ以外の情報も、情報としては等価である。そうしたさまざまな粒度の情報を評価・解釈し、再構成して知識とすることこそ、これから大学が学生に身につけてほしいスキルなのである。

三 電子ブックの発展の可能性は
 現在、日本で電子ブックと言うと、電子読書端末のコンテンツとして語られることが多い。しかし、電子ブックの本来の可能性は、ネットワーク上に存在することにある。電子的に提供さえるアイテムがリンクで結びつき、かつ検索可能になったときに、あらたな展開を見せるのではないか。電子ブックを読んでいて分からない言葉があったら、ネットワーク上の辞書で調べる。電子ジャーナルの論文が引用する電子ブックへジャンプする。検索エンジンの検索結果から求めるコンテンツに辿り着く。そうして知が網の目をなし、検索できてこそ、ネットワークの特性が活かされることになるだろう。

四 電子ブックは経営として成り立つのか
 電子ブック先進国のアメリカにおいても、現在、電子ブックが収益を生み出すモデルは少ないようである。今後の可能性を探っている段階といっていいだろう。立ち上げ時の課題として電子ブックは、紙の媒体を単純に電子化すればよいものではないため、多くの投資が必要になることがある。そこでアメリカの多くの先行例に見られるのは、立ち上げ時のファンドの存在であるが、これは日本 の現状においては、難しい。ついで販売時における課題として、電子ブックの個人ユーザ向け販売は難しいと言われている(『Books in the digital age』(Polity Press))。また従量制課金は、とくに学生にとって、情報入手の桎梏になりかねないものだから、望ましくない。学生が本を買わないのなら、大学として学習の環境を整える必要がある。そこで研究環境整備として電子ジャーナルを導入 したように、教育・学習の環境整備という論理で、図書館が電子ブックをサイトライセンスで導入することが考えられる。そこでは、新刊書が提供されないと利用価値は高くない。一方、過去の絶版本が、電子ブックとして使えるならばその知の継承という文化的意義は小さくないだろう。またサイトライセンスモデルには、スケールメリットの観点からある程度のアイテム数が必要となる。人文会という基盤を活かした、パッケージ構成の可能性は考えられないだろうか。

五 研究室の本と電子ブック
 これまでの大学図書館の中で、過去何十年にも渡り言われてきた問題として、研究室に置かれている資料へのアクセスがある。研究者からすれば読みたいときに手元に本があることを望むのはもっともである。しかし、とくに広く資料を渉猟する必要がある学生の「いったいこの本はどこにあるんですか」という声は切実である。ここに、本を広く提供できるようにしたい図書館と手元に本を置いておきたい研究者の相克があった。この問題を電子ブックは解決するかもしれない。紙の本が必要な研究者は、それぞれ購入すればよいのである。研究室に置かれる資料の問題は、おそらくかつての講座制の体質を引きづったものである。電子ブックはそれ を「開かれた知」へ転換するきっかけになるかもしれない。

六 大学の教育と電子ブック
 日本の大学図書館はこれまで、「教育」に 結びついてくることができなかった。例えば、講義での必読書を図書館が学生の人数に見合うだけ用意し貸出すという「指定図書(Reserve book)制度」が、六〇~七〇年代に、アメリカの大学図書館をモデルにして実施されたことがある。結局これが根付かなかったのは、学生が本を読み込み思考する教育スタイルではなく、教科書主義が主流であった実態にそぐわなかったからだと言われている。複数人がいつでもアクセスできるという指定図書の趣旨は、電子ブックに適合するものである。そこで電子ブックは、電子指定図書(e-reserve book)として活用されることが考えられる。教育のあり方と大学図書館の関係を再構築するためのツールとしての可能性が、電子ブックにはある。

  前述した井上さんの論でも紹介されていることだが、学生は本を読まない。残念なことにいくら上質のコンテンツをもった本でも、そもそも読まないのである。だが、それで済ましていいはずはない。少なくとも大学が知を生産しそれを継承していく知のシステムと存在しようとするならば、これまで蓄積されてきた知と、それを使いこなす技術を伝えるのが、その存在意義であるはずだからだ。そこで、図書館の役割は、学生を知に導く「仕掛け」としての環境を作ることである。そして、電子ブックはその「仕掛け」の一つになる可能性がある。菅谷さんが言うように(人文会ニュース94 号)、「デジタルであれ紙であれ、文字の情報というのは変わらない」のであり、「文字に書かれた情報をどんなふうに使いこなしていくのか」が、これからの知識社会に生きる学生に、求められているのである。
 もちろん、「本」というものの備える魅力は、これからも失われることはないだろう。しかし、教養として本を読むと言うモデルは、おそらく崩壊した。精緻に編まれた人文書も、いまどきに学生にとっては、インターネットの情報と同列の選択肢となっているのが現実である。しかし、人文書が築いてきたコンテンツの蓄積=「知」というものは、それほど移ろいやすいものではないはずである。今、問題なのは、それをどういう形で提供するかである。これまで本という入れ物に、研究室に、大学(そして「大学図書館」に!)に囲い込まれていた知を開放し、再構成してあらたな形に再生する可能性を電子ブックは、秘めているかもしれない。その可能性の中で、図書館は、知の継承の一端を担う役割を出版社とともに果たしたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山行記録 御岳

御 岳 ’96.8.18

メンバー:足達 松尾 赤澤

コース:田ノ原 1:50 王滝頂上 0:25 剣ヶ峰 0:30 二ノ池 0:50 飛騨頂上 0:45 八合目 0:25 のぞき岩 0:40 登山口 0:20 濁河温泉 [5:45]

 前日、午後も遅くから木曽福島で足達、松尾氏と落ち合う。駅前で買出しを済ませ晩飯を食べてタクシーに乗込む。すっかり暮れた御岳への道すがら、ヘッドライトに無数に並んだ霊神碑が浮かび上がる。独特の雰囲気に気おされる感じもしながら、田ノ原へ。広い駐車場の片隅にテントを張る。夜中、次々とやってくる登拝のバスに何度も起こされた。

 天気はよい。5:00発。御岳は、目の前にどっしり構えている。はじめは、樹林の中の緩やかな道が続く。やがて、展望が開けるのに見合って急登となる。昨夜のバスで来たらしい、講社の人たちが次々と下りてくるのとすれ違いながら着いた王滝頂上には、ここが、3000mの場所とは思えぬほど立派な神社がたつ。さかんにガスを吐き出す噴気孔を見ながら、最高峰の剣ヶ峰へ。御岳 は信仰のモニュメントが非常に多く、そこここに目につくが、まわりの景色は確かに高山のもので、その人工と自然の不思議な対照が、この山の個性を際立たせている。右廻りのコースをとって二ノ池。火山地形で、わりと殺風景な山頂部のなかでは気持ちの良い場所で、池に素足をひたしたりしてのんびりする。王滝頂上あたりは人であふれていたが、このへんまで来るとだいぶ静かになる。ここから、一段下ってサイノ河原。ケルン、というよりは「ひとつ積んでは…」の石積みが一面にあって、これまで見た同じ地名の中では、もっともそれらしい。霧の日など、あまり一人では通りたくないところだ。白竜教会の先の分岐を左に登 り、摩利支天の分岐を分け、飛騨頂上へ下る。一時つつまれたガスのきれ間から、草木谷のむこうに、めざす濁河温泉らしい建物が意外なほど小さい。三ノ池を下に見てレーションをとってから、下りにかかる。這松が終われば、あとは深い木々のあいだをゆく。この飛騨側のルートでは、信仰臭はまったくかんじられず、目に映るのは緑ばかり。道に横木が敷きつめられていて、かえって歩きにくいところもあったが、道が谷筋に沿うようになればやがて登山口。温泉への舗装道の先を急いで、飛騨小坂町営の露天風呂に飛込む。

 ここから小坂駅へのバスは予約での運行。すし詰めの最初の便は見送っ て、次の便を待つことにする。あたりをぶらついて一時間半ほど過ごした後、曲がりくねった道をゆっくりはしる小さなバスの客になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山行記録 焼岳

焼 岳 ’96.10.28

メンバー:赤澤

コース:上高地アルペンホテル 0:15 田代橋 0:15 分岐 1:45 焼岳小屋 1:00 山頂 1:00 リンドウ平 0:30 第一ベンチ 0:35 中ノ湯 [5:20]

 霞沢岳から下山後、岡本、増田氏のバスを見送り、明神で予約しておいた上高地アルぺンホテルに入る。迷ったすえ、折りから休みをとったのだからということで、やっぱり焼岳に行くことにしたのだ。白くなった焼岳をみて、ちょっと不安になりながら。

 宿は食事もうまかったし、相部屋なら安く泊れる上、なりより展望の良いきれいな風呂が気に入った。

 翌朝、まだ誰も起き出さない暗いロビーで、頼んでおいた弁当をたいらげてから、裏口を出る。5:40発。ひっそり静かな上高地の砂利道を踏んで行く。目の前に焼岳が大きい。分岐を分けてからは、樹林の中の登りとなり、やがて左に峠沢をみる。からからと、絶え間なく小石が崩れてくる音がして、少し気味が悪い。振り返れば、木々のむこうに大正池を望む。やがて開けた明るい草付きを詰めれば新中尾峠。小屋に寄ってみるが、しんとして人気もない。始めは、ここにデポしてピス トンしてから中尾に下りる、という峠越えのプランだったが、先の山行中に中ノ湯への道も出来ていると知った。どちらを取るか決めかねたまま、ままよとザックを背負って焼岳を目指す。一度、旧峠へ下ってからは一直線に山体に取り付きぐいぐい登る。何しろ木一本ない吹きっさらしなのでなかなか高度感がある。やがて、雪があらわれる。滑ったらどこまでも落ちて行きそうで、かなり恐くなってくる。両手を使ったり、這いつくばったりで何とか体を引っ張りあげる。誰もいないのがなおさら不安を増幅させる。北斜面を回り込んで雪が消えほっとすれば、やっと山頂部であった。天候が悪化してきて、せっかくのパノラマも肩から上はガスの中。下方、上高地の秋色が目を引く。あわよくば、南峰も踏もうかと考えていたが、山頂の荒涼にその気も失せ、中尾峠へ下るのはこりごりなので中ノ湯への道をとる。こちらは、雪もなく緑の下ばえの優しい道。乗鞍からきた雨に捉まったが、もう気楽なものである。ここではじめて、人とすれ違った。りんどう平らしい平坦地を過ぎ、樹林のなかをぐんぐん降りる。やがて、下界の気配がしてくるのだが、山腹を巻いたりして、なかなか着いてくれない。うんざりしかけてきたころに、どしゃ降りの中ノ湯に飛び出した。

 20分ほど歩いて、逆巻温泉で汗を流す。バスで松本へ出て、山小屋に寄ってから帰洛。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山行記録 笠ヶ岳

笠ヶ岳 ’97.9.7

メンバー:三好 山田 赤澤

コース:9/6 村営駐車場 0:55 登山口 2:55 杓子平 0:50 分岐 0:50 笠ヶ岳山荘 [5:30]

9/7 テン場 0:20 山頂 0:15 テン場 0:40 分岐 0:45 杓子平 2:05 登山口 [4:05]

9/6 前夜、京都からレンタカーをとばし、松本で三好氏を拾って安房峠を越え、新穂高温泉へ着いたのは夜更け。仮眠もそこそこに5:30に駐車場をあとにすれば、空はどんよりと重苦しい。

 左俣谷の林道を行く。この道は一回生の夏合宿で歩いたのだが、あたりの風景などまったく思い出せず、我がことながら、記憶の頼りなさが情けない。途中に近年、笠側の斜面が大崩壊したところがあり、笠新道もやや上流に付け替えられている。一時の強雨にたたかれ、かなり歩いた気がしたころに水場が見え、そこが笠新道の新しい取り付きであった。始めはあまり踏み込まれていない、いかにも新造らしい道である。名にし負う急登の笠新道だが、実際にはそれほど負担は感じない。ただ、合目毎の標柱に高度が印されており、それが道行きの遠さまで示しているようで、やはりそう甘くはないぞ、というところか。ただ、雨がやんでくれているのが幸いで、見上げていた谷向こうの尾根がいつのまにか目の下になり、その向こうに、稜線部は雲の中ながらも、穂高の連稜が姿を見せ始め、着実に高度を稼いでいるのがわかる。やっと飛び出した杓子平で大休止。ガスがながれ、笠がその勇姿をみせる。ピーク部のガスは取れぬものの笠の膨大な山体が目前に圧倒的。このときは、これがこの山行の笠の見納め、最高の展望になろうとは思わず、天候の回復を無邪気に喜ぶ三人であった…。

 ここから稜線まで、そこここに夏の名残のチングルマの綿毛や、まだがんばっているウサギギクなどの花々が飽きさせない。稜線にでたが、ガスにおおわれ、展望なし。かつて、黒部五郎から望んだ笠の秀麗を思い出せば、こちらからの眺めも如何ほどか。広がるはずの北アのパノラマを想像しながら黙々と歩を進めて、1:30にテン場に着く。ここで、山田氏が満を持して5人用ゴアテンを初登場させる、が、無情にも雨が降り出し、あろうことか縫い目から雨漏りまでするではないか。

 小屋の話では、雨は8月11日以来とのこと。これは赤澤の前北ア山行の日であるから、天罰も疑いたくなるところだ。衰えぬ雨脚で、ついにはテントに浸水。ふて腐れてそうそうに寝る。そういえば、雨のテント泊など久しくしていない。

 9/7 相変わらず雨。当初、クリヤ谷へ降りるつもりだったが、ピークピストンに計画変更である。テン場から小屋までは案外歩かされる気がするが、ピークは小屋からひといきである。吹き付ける雨のなか長居も出来ぬのでとんぼ返りで引き返し、テントを畳んで下山にかかる。6:40発。途中、緑に広がる播隆平や白く切立つ杓子平上部の岩壁が、ガスのなかから浮かび上がったのが慰めである。昨日は穏やかだった杓子平も沢筋をかなりの流れが洗っている。また来るぞ、もういいわ、とそれぞれ思いを口にしながら笠新道を下って行けば、雲をぬけたか、雨も次第に上がってくるのであった。

 林道にでたところで、軽トラに拾ってもらい、駐車場へ。その後、下山後の定番どおり当夜の宿、新穂高温泉の深山荘へむかう。一軒宿なのだが、めしもうまくなにより川端の混浴三段大露天風呂が豪快である。夕刻からまたしても降り出し、結局ひと晩降り続いた雨のため、翌朝、宿のまえの蒲田川は濁流となっていた。安房峠も通行止めになったため、高山から野麦峠をこえ松本へ。山小屋でだべって、今山行の幕となった

| | コメント (0) | トラックバック (0)

寸劇 『前田さん』

昔職場の忘年会で、もり氏、まつもと氏とで作成、演じた内輪受けの寸劇シリーズ

その1 『前田さん』

 

 「篠原さん、ちょっといいですか?」

 

篠原 「ん?」 かけあい

 

 「端末の配置どうしましょう?」

 

篠原 「そうだなー、うん、ちょっとカウンターで考えるか。」

 

松井 「端末の配置ですか?」

 

 「あそうだ?松井さん端末の模型作ってくださったんですよねー。」

 

松井 「やっぱり、実物大のが、あったほうが、ねっ、こうゆうことはっ。んー。」

 

 「そうですよねー。 前田さん、これ端末の模型ですって。」

 

前田 「あらら、なんだこれは?」 びりびりびり 

 

 「前田さん、松井さんがわざわざ作ってくださったんですよ。」

 

前田 「まー。」 歩く

 

松井 「前田には、まえっだ。」

小道具   

*松井: ひげ、端末の模型

*前田白衣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山行記録 恵那山

恵那山 ’97.4.26~27

メンバー:永井 三好 山田 赤澤

コース:4/26 黒居沢登山口 1:50 野熊ノ池 0:50 水場 0:10 山頂避難小屋 [3:10]

4/27 山頂避難小屋 1:45 大判山 0:30 鳥越峠 0:40 神坂峠 0:50 強清水 [3:45]

 4/26 長野から京都へ、また、京都から長野への車窓にその姿を何度見ただろう。派手さはないが、その頂稜を長く引いた量感ある、あたりの山々を圧して大きな山容には、いつも目をひかれずにはいられない。中津川で降りれば、恵那山 はあいかわらず、無口にずっしりとかまえている。遅れて来た一人を待って、タクシーに乗り込む。登山口についたのは昼も近く、駐車場には、すでに何台もの車が停まっている。木々の芽吹きにはまだはやく、明るくひらけた空は、まさに「雲ひとつない」透き通るような上天気だ。昼飯をすませ、歩き出す。 

 はじめは荒れた林道を行くが、山道に入り小屋を 過ぎれば沢筋に急登が続く。谷が狭まってきて、道も緩やかになれば、野熊ノ池。ようやく展望が開ければ、白く大きな山々の連なりが目に飛込んでくる。どこが見えているのだと、ちょっと戸惑ったが、地図をひろげれば、それは紛れもなく南ア。荒川三山が真正面である。一方、縦向きから望む中アは、幾つもの山が重なりあって、いつも見慣れた横に並んだ眺めとはずいぶんと様子がちがう。ひと登りすると、はじめて恵那の頂上部を見る。緑におおわれたそれは、どうもいまひとつ、ぱっとしないようにも思える。ちょっと無口すぎるのであろうか、この山は。これまで、意外なほどになかった雪が、ここらあたりから現れはじめる。頂稜の下を巻きながら、展望のない陰鬱な針葉樹林のなかの道を行く。ずいぶん歩いた気がした頃、雪の中にぽっくり落ち窪んだ水場を見つけた。これから先には水がないので、ここで10リットルのポリタンをいっぱいにして、交替で持ちながら先を急げば、しばらくであたりがひらけて山頂避難小屋がみえた。小屋を入ったところには、ストーブがあってさかんに薪が くべられており、とても暖かい。荷を下ろして、ピークを踏みに行く。小屋の裏手から縦走路に入ってしまったが、来た方向に稜線を10分も登ったところである。展望はないが、静かな頂。日も傾いてきたので、もどって夕飯にとりかかった。夜、彗星がみえるという声でおもてに出れば、天頂近く、ヘール・ボップ彗星がうっすらと尾を引いていた。

4/27 寒さに震えながらご来光をみたあと、朝飯をすませ小屋をあとにする。 6:20発。雪が深いが、よくしまっていて歩きやすい。いつまでも、平坦な道がつづく。これが、あの恵那の長い頂稜部なのだ。それが終わると、こんどはいっきに高度を下げる。キックステップを刻んだり、グリセードの真似事をしたりしながら、にぎやかにゆく。なにしろ、今日も昨日続きの好天で、気分も晴れやかである。何ヶ所か切れ落ちたところもあるが、だいたいは歩きやすい道で、大判山のあたりまでくれば雪もすっかり消えている。いちど、鳥越峠へ下り、登り返せば、富士見台の笹でおおわれたやさしい姿がもう目のまえである。振りかえれば、恵那が深い緑の山肌に沢筋の残雪を白くきざみこんで、大きい。その風格はやはり、名山のものには違いない。下方に舗装された道をみながら、気持ちのいい笹原を下ると神坂峠。さっそく、前々から見てみたかった、峠の遺跡へひとり行ってみる。かつて、古代東山道がこの峠を越えており、いにしえ人が峠の神に道行きの無事を祈った、というところだ。いまではここまで車が上がってくるが、タクシーに乗るには強清水まで行かねばならない。予定よりかなりはやくおりてしまったので、折りしも来た車の自動車電話を借りて、予約の時間を早めてもらう。ところどころで、車の道を歩いたり、突っ切ったりしながら下る旧来の道をゆけば、やがて、水量ゆたかな強清水につく。のどを潤し汗を拭っていれ ば、のんびりするまもなくタクシーがやってきた。

 中津川にもどり、レンタカーを借りてから、手当たりしだい電話してみつけた当夜の宿、下島温泉は仙游館へと向かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本の紹介 『和本入門:千年生きる書物の世界』 橋口侯之介 平凡社(2005)

「大学図書館問題研究会京都支部報」268号(2009/2)掲載  

 「目録を取りたいけど専門的な知識がないし」、でも「やっぱり古いものだし大事にしないと」。そんなこんなで、和本が書庫に眠っている図書館は、少なくないのではないでしょうか。かくいう私の勤務する図書館も同様なのですが・・・。それはさておき、まずは和本のことを知ろうと、図書館学の教科書を手にとっても、通り一遍のことしか書いていない、かといって、書誌学の本は、なんだかとっつきにくい。そんなとき、「本の文化が形成される歴史的背景を探りながら、実際に和本を手にとるように、できるだけ実例で説明することに努めた」(まえがき)という本書は、和本の世界へ導いてくれる格好のガイドブックとしてお奨めです。

 まず「第一章 和本とはなにか」では、版型によって、「物之本」(教養書)や「草紙」(娯楽書)などのジャンルがおおよそ分かること、その伝統は現在の出版に受け継がれていることなど、今に続く和本の歴史や様式が語られます。
 続く「第二章 実習・和本の基礎知識」では、「どれがほんとうの書名か」「本名が出てこない著者欄」「巻数、冊数の調べかた」といった章題からもお察しいただけるように、初めて和本の目録を取ろうとしたときに頭を悩ませるあたりも、見るべきポイントを示しながら、分かりやすく解説されます。
 木版印刷の板木は長持ちしたため、版元間で売買されながら「百年はあたりまえ、なかには二百年以上経って増刷することもよくあった」(まえがき)。「第三章 和本はどのように刊行されたか」は、そんな江戸期の出版の様相とともに、「刊記・奥付の見かた」など、本の素性を明らかにする方法を教えてくれます。とくに江戸の名所案内本『江戸砂子』を例に、刊記や版元広告などから板木の行方を跡付ける過程は、ちょっとスリリングです。
 最後の「第四章 和本の入手と保存」は、古書店やネットなどで和本を入手する方法とともに、和本の保存方法や虫害対策などを取り上げます。たいていの和本はコピー機にかけても問題ないこと、電子レンジでチンして虫を殺す方法など、目からうろこでした(もっとも後者は、「奥さんに見つからないようにしないと、二度と電子レンジを使わせてもらえなくなる」とのことですが)。

 この本の著者、橋口候之助さんは、神田の和本専門古書店主。単なる「コレクション」ではなく、また研究対象としての「もの」でもない、現役で流通している「生きた本」として、日々和本を扱う著者の立ち位置が、本書の分かりやすさに加えて、親しみやすさをも醸しているように思えます。さて、橋口さんは、千年を生き得る和本の最大の敵として「無知」ゆえの廃棄をあげ、そうしたことを防ぐ手立てについて、次のように述べます。

 その第一歩は、敬して遠ざけるのでなく、身近で親しめる対象として和本を見ることである。とかく図書館などでは和本を「貴重本」として特別扱いするので、容易に閲覧できないことが多い。(中略)そのため和本を正しく扱う方法などを学ぶ場がなく、いつまで経っても和本と親しむ関係が育たない。ほんとうに文化財として大事に保管すべき本と、自由に閲覧してもよい本の区分けをしっかりすれば解決できることなので、一考をお願いしたい。(p.232)

 十年一昔で変わる電子的なサービスを提供しながら、百年、千年を越えてきた知を次に伝える。図書館のすべきことは多そうです。ともあれ、まずは本書を一読してから、書庫の和本を開いてみると、和本もこれまでとは違った顔を見せてくれるはずです。

 本書の続編として、江戸の出版文化をより深く掘り下げた『続和本入門:江戸の本屋と本づくり』が刊行されています。併せてお奨めします。

 橋口侯之介『千年生きる書物の世界』(和本入門; [正]), 平凡社, 2005.10
 同 『江戸の本屋と本づくり』(和本入門; 続), 平凡社, 2007.10

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2010年4月 »